東野圭吾の作品は、ミステリーというよりもヒューマンミステリーという感じが強く、少し距離を置こうかなと思っていたのですが、先日書店で見つけてタイトルに対する興味だけで買ってしまいました。
内容は、”私”が、幼い頃の記憶や思い出のない7年前に別れた恋人・沙也加の「記憶を取り戻したい」という依頼を受けて、沙也加の父が訪れていたらしい山の中の白い家で真実を見つけ出していくという内容です。
物語自体はとても面白くて、佑介の日記と家の中の記憶から沙也加が徐々に記憶を取り戻していき、その真実はとても意外性があって切なく悲しい真実であったという流れで、とても引き込まれる作品でした。子どもへの虐待や実子ではない親子のことなど、東野圭吾らしい人間の問題も織り込まれています。
読んでみると、興味を持った「むかし僕が死んだ家」というタイトルは、主人公である”僕”が親から真実を伝えられ、そこで自分が自分でなくなった、親が親でなくなったということで、そこで自分が一度死んだという意味で付けられていますが、物語は、「むかし沙也加が死んだ家」ということが物語の中心です。子どもにとっては、ある重要な転換期ということで、その表現としてタイトルはどちらでもいいのですが、私は”僕”の真実がもっと意外性を持って沙也加の人生と絡んでくるのかなと思いながら読み続けていたので、タイトルから想像していた期待とはちょっと異なっていました。そこだけは違う意味で騙されたという感じもしないではありませんでした。あとで東野圭吾のこの作品の本人解説コメントを読んだら、わざとタイトルを自分の思い内包させてひねっていると書かれています。あえてそういうタイトルにしたということですね。(ホームページにその解説の写真あり)
ちょうど30年前の作品ですが、東野圭吾らしさは何も古さを感じることなく、とても楽しめました。

上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。また、ネタバレの記述もありますのでご注意ください。


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