【あらすじ】
2005年、中学1年生の女の子・安西こころは、同級生・真田美織から受けたいじめが原因で不登校が続き、子供育成支援教室(フリースクール)にも通えずに家に引き籠もる生活を続けていた。5月のある日、自室の鏡が光り、吸い込まれたこころは、その向こうのオオカミさまという狼面をつけた謎の少女が仕切る絶海の孤城で、自分と似た問題を抱える中学生リオン、フウカ、スバル、マサムネ、ウレシノ、アキと出会う。
子供たちを「赤ずきん」と呼ぶオオカミさまは、この孤城の中に隠された「願いの鍵」を見つけられた1人だけが願いの部屋へ入ることができ、どんな願いでも叶えられると説明する。ただし、孤城にはルールがあり、日本時間の午前9時から午後5時までは鏡を通って現実世界から来て良いが、午後5時以降に孤城に1人でも残っていると、その日に城内にいた者は連帯責任で狼に喰われる。そして、誰かが願いを叶え、この城から出た時点で全員の記憶が消えるという。鍵を探す以外には特に何も起こらない城内でこころは、いじめなどしないマイペースな中学生たちと穏やかな友人関係を築いていくが・・・
【感想】
同じ職場だった人からの「Prime Videoでこの映画(アニメ)を観て良かったので連絡を入れました」というメッセージに気づいたのは、昨日「花まんま」を観た直後でした。さっそくあらすじを観てみると、これはすぐにでも観なくてはと思って、昨夜寝る前に観ました。
寝る前に映画を観ると一瞬寝落ちしたりすることが多いのですが、この映画は眠気などまったく感じないとても素晴らしい映画でした。結末も驚きと感動で私は完全に涙腺崩壊でした。娘たちがイジメで不登校になったりしていたので、余計に身につまされるというか、自分の過去の行動に恥じたり後悔したりする内容でもありました。登場する子供たちの気持が今ならとても良くわかり、何が大切だったのかを心にじわじわと沁み込ませてくれます。私の場合、アニメは作画が自分に合わないと、いくらストーリーが良くてもなかなか受け入れられないのですが、この映画はそういう面でもまったく違和感なく受け入れることができました。
現実世界で約束したのに会えなかったことと、それまでの会話の内容のズレから、皆の年代が違うのだろうということには気づきますが、その背景、1999年生まれが不在、オオカミさまの正体、そして喜多嶋先生の正体は、驚きであり感動で涙腺崩壊でした。不登校の子供たちのありうるだろう実態を描きながら、その子供たちが求めること、お互いの心の結びつき、壮大な時間軸、をうまく絡めて素晴らしい物語にしているのはすごいと思いました。
心を傷つけて学校に行けなくなる子供たちは、けっして心が弱いのではありません。相手のことや周りの人のことに対して敏感だったり感受性が強いだけなのです。それは悪いことではなくとても良いことなのに、まわりの大人はそれがなかなかわからないものなのです。そういうことを理解して受け止めてあげることは、けっして甘えさせることにはなりません。そういう子供たちには、どう接して何が必要なのかという回答のひとつを、この映画は教えてくれると思います。
喜多嶋先生が初めてこころの家を訪ねて、「だって、こころちゃんは毎日闘っているでしょ」と言うシーンでは、涙が溢れてしかたがありませんでした。何度観直しても泣けます。しかも、その正体があとで○○だったとわかって観るとさらに涙が溢れてきます。そのときにこころに渡した紅茶がヒントだったのに、私は気づけませんでした。また、東条萌が引っ越し前にこころを家に招き、「たかが学校のことなのに」「ああいう子たちはどこにでもいる」と言う言葉は、辛い思いの中に落ち込んでいる中から抜け出すためのひとつのまじないの言葉かもしれないと思いました。その他にもいろいろと心打つシーンがありました。二度観るとさらにその感動は深くなるような気がします。
そんな中で、ほんわかとしたシーンがありました。マサムネがオオカミさまに「真実はいつもひとつ!」と叫ぶシーンです。マサムネの声は高山みなみなので思わず笑ってしまいました。それ以降は、マサムネはコナンがしゃべっているようにしか聞こえなくなりました。
アニメ映画はあまり観ない私なので、教えてもらわなければこの作品に出会うのはもっと先だったと思います。教えてもらって感謝です。原作者は「傲慢と善良」「ハケンアニメ!」の辻村深月です。この作品を観てもっと彼女の作品を読んでみたくなりました。とても良い映画でした。
城を去っても、きっとみんなの記憶の中にはこの時の記憶が残っている、私はそう解釈しています。

上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。また、ネタバレの記述もありますのでご注意ください。


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