【あらすじ】
みんなには隠している、少しだけ特別な力を持った高校生 5人(大塚京:京、三木直子:ミッキー、高崎博文:ヅカ、黒田文:パラ、宮里望愛:エル)。別に何の役にも立たないけれど、そのせいで、クラスメイトのあの子のことが気になって仕方ない。彼女がシャンプーを変えたのはなぜ? 彼が持っていた“恋の鈴”は誰のもの? それぞれの「かくしごと」が照らし出す、お互いへのもどかしい想い。甘酸っぱくも爽やかな男女 5人の日常を鮮やかに切り取った、共感必至の青春小説・・・
詳細は下記の通り。
プロロオグ
「皆、周りの人の何を知っておいた方がいいのかな?」「皆、何を知って色んな人を好きになるんだろう。」
か、く。し!ご?と
自分に自信の無い京の目線。人の心の中の「読点、句点、びっくりマーク、はてなマーク」が見える。高校2年生春の頃の話。自分と正反対の性格のヅカと親友。突然シャンプーを変えてきたミッキー。京とヅカの前で何度も変化を問うが、ふたりは気づいていながら言えない。ミッキーのその行動は不登校になっているエルと京の間の誤解を解くためだった・・・
か/く\し=ご*と
明るく人気者のミッキーの目線。人の心の動きが+に動くか-に動くかをバーとして見ることができる。高校2年生文化祭の頃の話。パラの提案で文化祭でヒーローショーをやることになる。ヒーロー役はミッキー。しかし、最後で台詞が飛んでしまい、パラの即興でなんとか乗り切る。一連のパラの行動はミッキーを思う隠された思いからだった・・・
か1く2し3ご4と
いつも予測不能な行動をとるパラの目線。人の心拍数の速さが数字で見える。高校2年生修学旅行の頃の話。パラは、心拍数に変化の無いヅカを好ましく思っていない。ヅカが好きな人に渡せは恋が成就するという鈴を持っていたため、ミッキーに渡すものだと思い込んでふたりがカップルになることを阻止しようと、ヅカを誘惑しようとする。修学旅行中に体調を崩したパラのもとを訪れたヅカはそういうパラの心はお見通しで、パラはそこでヅカに心の思いを話す・・・
か♠く♢し♣ご♡と
自分の心に正直に向き合えないヅカの目線。人の気持ちの「スペード=喜、ダイヤ=怒、クローバー=哀、ハート=楽」が見える。高校3年生春・花見の頃の話。エルが焼いてきたクッキーを食べたヅカは美味しいと褒めるが、隠し味を問われて答えなかったエルの頭には「哀」の大きなマークが浮かぶ。その時からなぜかエルは京を避けるようになり、今日はそれに悩む。そんな時、ミッキーの発案で5人は花見に行くことになる。そこでヅカは、エルが京とミッキーが付き合うと友人としての自分を忘れるのではないかという不安を知る。そこでヅカはエルに自分の秘密を話すことにより、その不安っを払拭する・・・
か→く↓し←ご↑と
内気なエルの目線。人の恋心がその相手に向かう矢印として見える。高校3年生の受験に向かう時期の頃の話。京とミッキーは恋心の矢印が双方に向かっているにもかかわらず、その気持ちを知らずにもどかしいままの関係のふたり。エルやパラ、ヅカはなんとかその気持ちに気づかせようとするが、ミッキーは京の気持に気づかず、京は自身の無さから自分がミッキーを好きな気持ちを押し殺そうとしている。そんな時、図書館でエルと親し気な京を見てミッキーは筆談でのやり取りで大きな誤解をして去って行ってしまう。追いかけるようにエルに言われた京はミッキーを追いかける・・・
エピロオグ
「私のこと全部知りたい?」「必要ないかも」「出会ってから今までとこれからがきっと知るべき場面じゃないかな」「積極的に教えてくれること以外は、その楽しみをとっておこうかな」「信じているから」「
【感想】
映画を観て原作小説を読みたくなって読んでみました。映画を先に観ましたので、映画のキャストと重ねて観たり、シーンが浮かんできたして、かなり映画に引っ張られる感じがしました。しかし、映画を観ていないと状況や台詞が理解しにくいだろうと思う部分もあり、この作品はどちらが先が良いのかは一概に言えないと思いました。
原作を読んでみると、映画ではかなり端折って描かれたところが多いことがわかりました。この作品は、ぜひ小説も読んでおいた方がよいだろうなと思いました。映画では、5人の能力や思いも描いてはいますが(特にヅカの能力のシーンは1シーンのみ)、中心は京とエルのもどかしい恋心で、それを他の3人の思いを絡めて支援しているという物語となっています。しかし小説では、平等に5人からの視点でそれぞれの思いが丁寧に描かれていて、映画よりも5人の性格、能力、友への思い、苦悩みたいなものがよくわかり、5人が主役の物語になっています。なので、5人の心に秘められた思いを含めた「かくしごと」をより多く深く感じることができます。そしてその「かくしごと」は、友を思う優しい気持ちと自分を見つめる姿につながっており、5人それぞれに対して自然に感情移入することができました。特に、自信を持てなくて自分の気持に閉じこもってしまう京やエルの思いに共感してしまうところが多かったです。
そういう違いはあるにせよ、映画でも小説でも、根本の友人との関係というテーマに違いは感じませんでした。そういう意味では、映画はポイントをしっかりと押さえたうえで2時間の物語にうまくまとめられていると思います。
5人の持つ能力は誰でも感性としてひとつは持っているのかも知れないという象徴的なものなので、能力自体がこの物語のテーマではありませんが、5人の視点は同じ出来事に対してではなく、時系列的な出来事でバトンタッチして描かれていることがちょっと残念な気もしました。同じ出来事をそれぞれが持っている力でどう見ていたのかなというのがとても気になりました。
小説を読んで、『か「」く「」し「」ご「」と「』というタイトルの表記の意味、最後の閉じていない”「”の意味も分かったように思います。”「」”はかくしごとの内容、”「”はこれからもそれは増えていくものという意味かなと私は思いました。そして、そのかくしごとは、言いたければ言えばいいし、言わなくても友人であることになんら問題はないことなのだということも伝えたいことだったのかなと思いました。
自分が若い頃は、ここまで友人のことを思ったり、大切に考えたりしていなかったと思います。もっと単純で自分勝手で愚かだったように思います。そういう意味ではちょっと自分の過去をほろ苦く感じる物語でもありました。

上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。また、ネタバレの記述もありますのでご注意ください。


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