空母「瑞鶴」乗員だった父の遺品

父親の遺品のひとつ。父は若い頃、空母「瑞鶴」の通信員でした。若い頃の私は、父に対して「なぜ志願して戦争などに行ったのか!」と本気でつっかかって批判していました。今考えると、兄妹の多かった長男ではない父は、そういう選択肢しかなかったのかとも思います。亡くなる前には、少し戦争の頃の話も聞けましたが、90歳を超えた父はもう思い出したくなかったのかもしれません。私の都合で批判したり、話を聞きたいと言ったり、自分勝手な息子でした。父が生きて戻ってきたから私がいる。娘も孫もいる。それさえ叶わなかった若者がたくさんいた。それだけは忘れないようにしましょう。

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