たそがれ清兵衛 2006年12月22日(金)日本テレビ系金曜ロードショー
2002年松竹・日本テレビ他作品。
寅さん以後、山田洋次監督が長い間構想を練って作り上げた時代劇の第一作。第二作が「隠し剣 鬼の爪」、第三作が現在公開されている「武士の一分」。
「武士の一分」をきっかけにこの三部作を見てみたいと思っていたのですが、ちょうど今日の金曜ロードショーで「たそがれ清兵衛」が放送されましたので観てみました。
野心みなぎり名声を求める男達には、こういう男はどう映るのでしょうか。まわりの目や評価に惑わされずに、自分がやるべきことを淡々と行う。そのやるべきことというのは、仕事ではなく家族を守ること。
家族を守るためには、今の身分に甘んじることなくもっと積極的に頑張ればとも思ってしまいますが、それは今の時代の考え方なんでしょう。身分の差というものが歴然と存在し、それが大きな変化を受け入れない時代には、分相応という考え方が基本にあるのだと思います。
剣の腕は秀でているにもかかわらずその事を隠し、毎日たそがれ時には家に帰り、生活のために内職に励む日々を淡々と送る清兵衛。身近には自分を幼い頃から慕ってくれる女性がいるにもかかわらず、自分の身分を考えて成就しようとしない。
そういう生き方は、見方によっては純粋でとても美しい生き方だとは思いますが、私にはできそうにもありません。自分に人より秀でた才能があれば、それを誇示したくなるでしょうし、自分を慕う女性がいればうぬぼれもするでしょう。だからこそ、それを受け入れず多くを望まず家族だけを見て生きる清兵衛の生き方が男らしく思え、切なく思えてしまうのかも知れません。
男の生き方は、切なくて悲しいくらいに誠実で一途な方が、人の心を打つのかも知れません。現代は、そういう生き方をバカにし、その良さを忘れていることを、こういう映画で伝えたいのでしょうか。
人を蹴落として、家族まで犠牲にして、社会のルールまで無視して、経済的な裕福さをとことん目指す現代の男たち。一方、清兵衛のように毎日毎日人にこき使われながら、家族を守るために一生懸命生きるサラリーマンの男たち。
心の真の穏やかさは、どちらの生き方の結果の中にあるのでしょうね。
映画「たそがれ清兵衛」

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