映画「永遠の0」

pic20131231_01この年末は、新年に向けての飾り付けや準備はせずに、ただただ長期連休を利用しての大掃除や片づけをしておりました。年が明けても、おとなしく普通に過ごす予定です。
そういう年末ですので、大掃除や片づけが一段落した今日、家族で「永遠の0」を観てきました。人気映画ではありますが、さすがに大晦日の夕方の上映では、お客さんも数グループほどでガラガラでゆっくりと静かな雰囲気で楽しむことができました。
「永遠の0」、小説を読んでストーリはわかっているにもかかわらず、涙無くしてみられないとてもいい映画でした。最初の松乃の葬儀での賢一郎が悲しみに崩れ落ちるシーンからもう泣いてしまいました。祖父の話をしてくれる戦友の話にもひとつひとつ感動があり、それぞれでジーンときます。宮部久蔵自身は戻ってきませんでしたが、いろんな人の心の中に宮部久蔵を残してきた、そういう生き方をしたいと思いますが、もう私の年では遅いですね。
こういう映画には感動しても、戦争をきちんと理解できているかというと、私を含めて今の日本人はきちんと理解ができていないと思います。時代が悪かったとか、大本営が悪かったとか、教育やマスコミが悪かったとかいいますが、すべての普通の人たちが、人や命を大切にし愛する心を宮部久蔵のようにもっと強く語ることができれば、あの戦争はもっと違ったものになったかも知れません。また、それが出来なかったという普通の人間の弱さもきちんと理解しないといけません。
余談ですが、身体に障害を受けた復員兵(傷痍軍人)は定職につくのが難しく、私が子どもの頃にも神社などで物乞いをするそういう人たちの姿があったことを覚えています。万歳で送り出した人たちなのに、傷ついた人たちへの偏見や差別。世の中の目は刻々変わる危ういものであり、どこを中心に考えるかで評価も変わるということを自覚し、自分の考え方の物差しはできるかぎり不変のものであろうと思いますが、なかなか難しいのが現状です。

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