散歩で考えていたこと

今朝の散歩で歩きながら「話し合いで問題を解決する」ということを考えていました。私は若い頃は、戦争に志願して参加していた父を非難し戦争は何があってもすべきではないし肯定すべきではないと強く思っていました。問題解決は戦争ではなく話し合いで解決すべきだと思っていました。

しかし、人生を重ねていくと、身近な問題でも話し合いで当事者同士で問題が解決されることなどほとんどなく、事故やいざこざや離婚など、ほとんどが警察や裁判に委ねられるという現実を知ります。双方の利害がからむと当事者同士の話し合いで解決などありえません。

それが国同士となると、そんな利害とは比べ物にならないくらい大きな利害がからみ、それに加えてその国の民意や威信やメンツや権力事情が加わります。相手を騙したり脅かしたりする戦術や能力も必要になります。意見を主張し議論で打ち負かすことを良しとしない日本の教育では、そんな交渉に太刀打ちする交渉能力も育っていません。

考え方や文化、教育の違いも大きいです。特に報復に対する考え方は非常にデリケートです。こちらの普通のことが相手は普通のことではないこともあります。話し合いは一筋縄ではいかないことが想像できます。間に入って調整してくれる絶対的な国際ルールも警察署も裁判所もありません。その交渉のバックには相手を威嚇する武力も必要なケースもあるかもしれません。

北方領土の問題、拉致の問題など、結局、戦争は回避していますが、話し合いで問題を解決することはできていません。最近の身近なことでは、外国からの観光者のマナーやモラルに対して話し合いで日本のやり方を守らせることすらできない国なのです。話し合いで問題を解決するなんて理想だけど幻想だということを、長い間、世界情勢や政治や身近な出来事を見てきて痛感しました。

戦争をせずに話し合いで問題を解決するためには、もっとしたたかに人を騙してハッタリを言うくらいのずる賢い外交能力、交渉能力、戦術が必要なのは明らかです。話し合いで問題を解決することは正しいことですが、そのためにはどうすれば良いのかは本当に難しいことです。理想を叫ぶだけではなく、話し合いで問題を解決するためには、どんな能力や戦術が必要なのかを具体的にして実行していくことが大事なのだと思います。

そんなことを思いながらの今朝の散歩でした。何も答えは出ていませんが。

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