自殺した子供と親への配慮とは

先月末に群馬県桐生市の市立小学校6年生の女の子が自宅で自殺した事件。
相変わらず、こういう事件のあった時の学校の態度は、「いじめは無かった」「いじめはあったかもしれないが、それが原因かどうかはわからない」などという防衛的としか思えない発言を平気でする。
なぜ、子供が自殺した親の身になって物事を考えられないのだろうか。
いじめが原因で自分の娘が悩み苦しんで自殺をしたかも知れない。親はそういう疑いが少しでもあれば、とても胸が痛むものなんだ。親として娘が自殺する前になぜ助けてあげられなかったのだろうかと、自分のせいにして苦しみ後悔するものなんだ。そういう切ない親の思いを少しでも想像できれば、「いじめはなかった」とか「いじめが自殺の原因かどうかはわからない」なんて、そういう発言はできないはずだ。
どうして幼い小学生が自殺まで考えたのか、そしてそれを実行したのか、それはとても重い出来事なのに、簡単に結論をだそうとする。そんなものではないのではないか。子供が自殺をするということは。
勝ち組を優遇せずに弱者を守れという声が強いこの国なのに、こういう出来事に対しては自殺をした子供や親に冷たすぎる。弱いからいけなかったのだ、自分を変えるべきだったのだ、なんて弱者を鞭打つ言葉も少なくない。ひどい例になると、そういうことを自殺した子供の親に投げかける人もいるらしい。
自殺するにはそれだけの理由がある。その理由は複雑にからんでいるかもしれないし単純かも知れない。でも、その理由はきちんと尊重し二度とそういうことが起きないようにすることが大事なのだ。それが、亡くなった子供やその親への責任でもある。親は、自分の子供がなぜ自殺したのか、その理由を一番知りたいのだ。それを助けてあげるのが、自殺した子供と親への配慮であり関係者の責任ではないのか。
単純なことなんだ。
自分がその子供であったなら、自分がその親であったなら、そう思うだけでいいんだ。
そうすれば、何が大切で何をしてあげればいいのか、自然に見えてくる。
「いじめ」はこんなものだとか、「いじめ」はあったとかなかったとかいうものではない。
その子供が、人間関係の中で、つらい思いをしてるかどうか、それだけだ。
自分の子供がとてもつらい思いをしていた、そしてそれが理由で命を絶ったり、人生を狂わされたりする。
そういう子供を「弱いから」だと切り捨て、その親の思いも切り捨てる。
こういう事件が起きると、私はこの国の教育現場はそういう状況なのだと本当に絶望的な思いになってしまう。
私もいまだに怒りがよみがえったり、自分に後悔したり、子供に申し訳ないと思ったり、10年近く経ってもそういう心の痛みはまったく癒されていない。たぶん、消えることはないのだろうなと思う。

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