「コクリコ坂から」公開にあたり、7/15にテレビで放映された「ゲド戦記」の録画を、夏休み初日の今日みました。
「ゲド戦記」の当時の評価はあまりよくないと聞いていたので、どのくらい出来の悪い作品なのかなと思って見始めましたが、見終わった感想は、けっこう面白かったし、メッセージ性もけっこうストレートで、全然出来の悪い作品ではないと思いました。
「コクリコ坂から」の最初の淡々とした流れや伝えたいことが直接的ではないことに比べれば、非常にわかりやすい、非常に引き込まれる、そんな感じでしたね。
もっともわかりにくい「テルーが不死身の龍?」というところや、「アレンが父を刺した」というところは、さすがにもう少し説明がないと「都合のいい設定?」みたいに感じますが、私は、全体で伝えたかったことを伝えるためのイメージとして理解しました。アレンが父を刺した理由はどうでもよくて、そういう心の闇を持っていることが重要なのだとかね。
ただ、宮崎吾郎監督作品というフィルターが、かなり厳しい見方になってそういうところを許さない評価になっているところがあるんでしょうね。これが宮崎駿監督作品ということで公開されていたら、どういう評価になっていたのか、非常に興味深いところです。
ラストシーンの死ぬのが「怖い、怖い、怖い」というクモのつぶやき、実にリアルでした。私は「死ぬことが怖い」と小学生の頃から思っていました。朝、トイレにはいると、いつかは死んで自分がこの世からいなくなるのだと考えてしまい、奈落の底に落ちてしまうような感覚を味わっていました。自分が死んだあとも、他の人は行き続け、この世界は何事も無く続いていく、そういうのが耐えられない思いが今もあります。
しかし、生死があるから命が輝く、生死があるから命を大切に思う、生死があるから人生を大切に思う、そのメッセージは案外、忘れてしまっているかもしれません。そのメッセージは、私はこの映画から、けっこうダイレクトにあらためて感じさせてもらいました。ただ、死にたいと思う人間が多い中、健康人で死ぬのが怖いと日々感じている人はどのくらいいるのでしょうか。そこが共感を得るかどうかのポイントかも知れません。
私にとっては、「ゲド戦記」は人間の心の中の物語で、生きることに迷い苦しみ、その中で、自分なりの生死に関する考え方を新たにしていく空想的童話的物語であり、ハイタカもアレンもテルーもテナーもクモも、その物語でのイメージ的存在、そんなふうに感じました。メッセージはダイレクトなのですが、それの表現方法はちょっと難解なのかも知れません。(それとも、私が単純でアバウトなのか(^_^;))
とても面白く、いい作品でした。
映画「ゲド戦記」
映画の感想

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