教育を考える

今朝起きたら、優香似の若いおねーちゃんがそばにいて、口にはいっているゴホン虫を吸い出していてくれた・・・・・
なんてことはやっぱりありませんでした・・・・。(-_-;)
なにやら学校では中間テストをなくす動きがあるそうで・・・。
週休二日による授業時間の確保が目的だとか、ペーパーテストで評価するのはどうかなどというのがその理由らしいですね。
私は正直こういう思考が理解できません。
本質を忘れた悪循環に陥っているような気がします。
本来、学校というのは、日本の将来を担う人材を育て上げるところです。
それぞれの個性を世界に負けないレベルに導くのが学校です。
大きくなっても使う機会がないからといって、教えることを減らしていってゆとり教育だというのは何かヘンです。
日常生活には使わなくても、車を設計する時、薬を開発する時、その他何らかの物を開発する時には、数学は必須ですし、物理学や化学、電子工学も必要です。
幼い頃にその基礎となる勉強を減らしていってどうするのでしょうか。
日本は資源の少ない国です。
資源は人でしかありません。
教育を見直すならば、受験で平均的に高い点数を取るだけの受験戦術の勉強にならないように、その仕組みを変えることが重要だと私はずっと思っています。
そのためには、個性を伸ばす教育が大事なのです。
今の学校では、興味を持ってもみんなと同じスピードで勉強をすることを是としています。
こいつは光るところがあるから、どんどん先を教えてやろうなんてことをすると、とたんにえこひいきだとかいう悪平等の理屈がまかり通っていきます。
日本の将来を考えると、子供をどう育てるのがいいのか、それを教師も親もよく考える必要があると思いますね。
ヘンな悪平等は、絶対によくありません。
中間テストをなくして、喜ぶのは誰なんでしょうか。
そう考えると、それがおかしいということが少し見えてくるんじゃないかと思います。
これは運動にもいえます。
運動会で順位をつけないとかいうことをやっている学校もあると聞きます。
いったいなんなんでしょうかね・・・。
勉強であれ、運動であれ、優れている子供にはきちんと順位をつけてあげるべきなのです。
それが、子供達がこれから生きていく社会だし、それが逆にいろんな価値観を子供達に植え付ける勉強にもなります。
「できる人間ができない人間をいじめたりするから、順位をつけるのはよくない」ともよく聞きます。
でも・・・順位をつけることと、人をいじめることってまったく別の事じゃないでしょうか。
できる人間ができない人間をいじめたりしない、そういう事を教育するのが親や学校の役目でもあるわけで、それを順位をつけないということで本質から逃げてしまうのは本末転倒のように思うんですよね。
勉強や運動ができるできないというのは、ある人間の一側面をみているだけで、それが人間としての優劣ではないと、それくらい教え込めないでどうするんでしょう。
一番大事なことは何か、本質は何か、そういうことだけはぶれることなく議論をしてほしいとつくづく感じます。

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