偏見

もう日が変わってしまいましたが、10月10日夜の日本テレビドラマコンプレックスで「私が私であるために」というドラマが放送されました。
こういうドラマを見ると、世の中に普通に蔓延る偏見ということを考えてしまいます。このドラマに関するブログや記事を見ると、表面的にしか問題を見ていなくて、短絡的な差別用語が並んでいるものも多く目につきました。
私は、若い頃から大人に対しての反抗心が強くて、いつも大人の価値観に反発していました。
なぜ、男が髪の毛を長く伸ばしていたら不良なのか?
なぜ、エレキギターを弾いていたら不良なのか?
なぜ、クルマやバイクに夢中になっていたら不良なのか?
私が若い頃は、こういう事をよく言われました。そんな大人たちは、人を見かけで判断したり、凝り固まった固定観念や常識でしかものを見ていなかったりして、ものごとの本質や人の心を後回しにしてしまっているように見えました。
私はそういう大人の考え方が本当に嫌いでした。
ですから私は、今ではいろんな価値観を受け入れるところからスタートすることが普通になっています。人間は、自分が理解できないことなんか山ほどあるものです。自分が理解できないことは、すべてダメだとか悪だとか言い出したら、なにも見えなくなってしまいます。自分の価値観が正しいなんてそういうのは完全に奢りですからね・・・。
ドラマのテーマの「性同一性障害」もしかり、向井亜紀さんの「代理出産」もしかり。何が本人のため、子供のためかという、それだけの判断基準でぶれることのない「常識」を作りあげることはできないものなのでしょうか。
人間は好奇心という、あるときはすばらしい結果を生み出す心を持っていますが、場合によっては、その好奇心は自分本位の偏見や身勝手な結果を生み出すこともあります。好奇心は未知なることへのエネルギーとしてとっておいて、人を追い詰めたり傷つける好奇心は、できれば心の中にひっそりと収めておいたほうがいいと思います。
普通の人とかわったところを持っている人間は、人とは異なった個性をもっているだけにすぎない。それは何も特別なことではなく、ごく普通の当然のことなのだ。大事なのは、その個性を認め合って生きていけること。
こう思うようにしていても、日常生活の中でつい偏見で人を見たりしている自分がいることがあります。そのような時は、自己嫌悪に陥ったりする事があります。偏見を持たないことは至極当然なことですが、それを貫くのは非常に難しいことでもあります。

コメント