「過ちは繰返しませぬから」

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という言葉を考える区切りの日が今年もやってきた。
この文章の主語を狭く受け取って異論を唱える人もいるけれども、この主語であろう「私たち」は人類を指すものとして受け取るのが妥当なところ。
数日前にテレビ番組で、ある評論家の方の話を聞いた。
国家、つまり国民を守るためには、外交は毅然として強くなくてはいけない。
そうでないと、赤子の手をひねるように相手の思いのまま利用されたり損害を被る。
それが世界、それが国家。
強くということは、自分の国の歴史や国益を理解し、自分の国を愛する強固な意思を持つことが第一であるが、その後ろ盾となる軍事力が大きな部分を占めるのは認めざるを得ない。
特に、日本という国の外交に対し、ひ弱さ、甘さを感じることの多い昨今では、その重要性が身に染みる。
人が良すぎるというか、したたかさが足りないというか・・・。
国家として甘く見られぬようには、力も必要。
自分を自分で守れるだけの力なくして、独立国家としての振る舞いは難しいのかも知れない。
氏の言われていること(まだ深く充分理解できているというところまで達していないけど)は、非常に分かりやすく納得もできる内容であることに間違いはない。
しかし、それであの悲惨な戦争を防ぐことはできるのだろうか。
核兵器の使用を止めることができるのだろうか。
すべての国家が、
「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」
という気持ちにならぬ限り、必ず同じ過ちは繰り返される。
理想論と、現実の国家間の関係とのギャップ。
話し合いで解決できなかったら、暴力でわからせる。
暴力に勝つために身体を鍛え筋力をつける。
それが軍事力。
腕力はないが、争いごとを好まない穏やかな人間。
でも、その家族に安息はなく、不安な日々を過ごすかも知れない。
腕力があって、争いごとで物事を解決しようとする攻撃的な人間。
でも、その家族は安心してその中にいることができるのかも知れない。
自分が愛し守るべきものが家族だと思えば、強い家を目指し隣人を敵として見る。
自分が愛し守るべきものが国家だと思えば、強い国を目指し隣国を敵として見る。
自分が愛し守るべきものが人類だと思えば・・・
そこにたどり着いた時に、「過ちは繰り返さない」という言葉が現実になるのかも知れないな。

コメント