開けられたパンドラの箱の後始末

『「Warachan’sモデル工房」カーモデルコンテンツの完全終了』にあたってを書いたときには、本当に穏やかで静かな気持ちでカーモデルのことをすべて終了する心境でいたのです。
しかし、そこで書いた、
最後に誤解の無きように書いておきますが、私が2005年12月にサイト閉鎖を決めたのは季節風や「パクリ」発言者のせいではありません。それはそれで腹立たしく傷つきもしましたが、カーモデルをやめた一番の原因は当時のカープラネットの皆さんの私への多くの批判の発言でした。
という文章で、にわかに周辺が騒々しくなってしまいました。
久しぶりに連絡をいただく人もいます。
いろんな情報を耳に入れてくださる人もいます。
その解決の手法としては、
「書いたことはウソ」
としてなかったことにする方法。
もうひとつは、正直にさらけだす方法。
すべて過去のことと割り切ることができた気持ちが、一転波立って当時の辛い思いがよみがえってきた今となっては、後者を選ぶしか私の選択肢は無いようです。
今から正直に書くことによって、私はさらにカーモデルの世界と友人だった人たちの中に戻ることはできなくなるでしょう。でも、それは書かなくても同じなのです。とても、そういう気持ちになれませんし、一度ある思いを持ってしまった人とそれを忘れて付き合うことはできないからです。損な気性なのです。正直に書く目的は、私を含めた人々の波立った心を再度鎮めるためです。中には私の思い違いも誤解もあるでしょう。逆に平穏だった心が波立つ人もいるかもしれません。でも、すべてを解決するのは事実でしかなく、今から書く内容は当時の私の心の事実の内容です。
ということで、開けられてしまったパンドラの箱の後始末をはじめます。
最初に2ちゃんねるの季節風の正体のことをカープラネットのメーリングリストに伝えたのは、2005年の10月15日。その時は、「まいったなぁ~」という感じであまり深刻ぶらずに伝えたのですが、私自身は、まさかあの人が季節風かという気持ちでかなり動揺と怒りを感じていました。
カープラネットのメンバーは○○○の仕事もしている人が何人かいらっしゃったので、その人たちからやんわりと、あのような行為はダメですよと忠告してほしかったというのが本心でした。
でも、「2ちゃんねるのことなんか気にしないで忘れてしまえばいいんじゃないか」、「あなたの味方の書き込みも多くて羨ましい」という言葉が多くて、それ以上私は何も言えませんでした。有名税みたいな言われ方はちっとも嬉しくなくて、それよりも、同じ怒りを共有したかったのですよね。
でも、みんなは当事者ではないので仕方がないと思い直し、ひとりで自分のサイトで『「季節風」氏に関する事実』というページを作って事実の公表を行いました。公開しながら誰か同じ怒りや一緒に忠告に動く仲間を探していたように思います。でも、年末近くになっても私が勝手に期待する動きになるはずもなく、追い詰められた気持ちでひとりで行動に出ることにしました。それが12月15日に当時の私のブログ「モデラーな日々」で書いた「○○○という集団」という記事でした。考えて考えてもうそれしかないという感じで追い詰められてとった行動でした。
これに対する直接的な強い批判は2件ありました。
○○○の仕事をされていたM氏とK氏(K氏は当時カープラネットメンバー)でした。
おふたりの主張は、
「○○○メンバー全員への侮辱だ」
「モデルカーズ編集長、長尾氏のブログへのトラックバックはやりすぎだ」
中でもM氏は、
「断じて(季節風は)○○○メンバーではないことを断言します」 
「あなたのサイトは鶴亀さんのサイトのパクリ」
「名誉毀損で訴える」
「2ちゃんねるの文章をホームページに載せるのは著作権違反だ」
という独自の批判もいただきました。
この人たちは私が季節風に侮辱されていたことには無関心だったのに、自分達が侮辱されたと思ったら一気に動き出すんだなぁと、悲しい気持ちの中で思ったことを覚えています。
おふたりには、メーリングリストだけではなく個別メールで、季節風が誰かを特定した理由、根拠を何度も書きしたためましたが、最後は、
「これ以上議論しても分かってもらえないでしょうから、もうこの話題はよします。」
「今回の件につきましては、今後一切関りを持ちたく無いと思います。」
とおっしゃって、おふたりからは一方的な会話打ち切りを突きつけられました。
議論なんてものじゃなかったですね・・・。
私も相手を思いやる気持ちがなかったかも知れません。
でも、私の心理的苦痛は何ヶ月も続き、その真相をつきとめるためにいろんな勉強もし、電話もし、そして確証を得た結果だったのに、その説明に対しまったく聞く耳持ってもらえず、自分の思いだけを一方的に捲くし立てられただけだったことは、とても悲しいことでした。
そういう中で、鶴亀氏や北澤氏、そしてモデルカーズ編集長の長尾氏から暖かなメールをいただき、とても救われたことを忘れません。その他にも、いろんな方々から励ましのメールや電話をたくさんいただきました。
今でも、あの時に励ましていただいた皆様には深く感謝しています。
ありがとうございました。
でも、カープラネットのメンバーの皆さんからは、メーリングリストでも個別メールでも、そういう意味の言葉は何もなかったのですよね。「何を言っていいかわからない」という気持ちはわからないでもないのですが、苦しみ悩んでいた私にとっては冷たい態度にしか感じなかったのです。中でも、ゴルフに例えられて、「趣味のゴルフは気の置けない仲間とワイワイやるのは楽しいけど、嫌なヤツとやると趣味ではなくなる。」と言われた言葉にかなりショックを受けてしまいました。自分は、もう趣味として楽しむ仲間じゃなかったのだなぁと・・・。
「カープラネットの活動を一時リセットしましょう」との提案があったのは、ブログに記事を載せて3日後の12月18日午前のことでした。事前に相談をうけたかどうかの記憶はもうありませんが、そういうカープラネットのメンバーとの関係にすでに絶望していたから簡単に受け入れてしまった記憶があります。
そしてその日12月18日午後に、私は自分のサイトを閉鎖しました。
閉鎖の理由は自分の家庭の事情もありましたが、この出来事が閉鎖の決め手でした。
カープラネットのメンバーで、その後に連絡をいただいたのはS氏だけでしたので、12月30日にS氏に、
「何故、○○○をなんとかしないといけないというぼくの思い、決断が、カープラのみんなに理解してもらえなかったのかなぁ~。今でもそれが一番寂しいんだよね・・・。正直なところ教えてくれませんか?」
と聞いたのですよ。
その答えが、
「当事者で「ある」、「無い」ってことが一番だと思う」
「ネットのつながりはおいしいところだけ取り繕うもの」
「あなたのように自分のすべてを出して…というお付き合いはしていません」
というようニュアンスのもの。
さらに、
「2006年の静岡に向けて、元のカープラメンバーの中で4人に声をかけました」
という言葉。
ここで、あのゴルフの話を思い出しました。
気の置けない仲間だけで活動するんだなぁと思いました。
私にひどい批判をしたK氏もその4人に含まれ、K氏はM氏も含めるようにとS氏に言ったそうです。
さすがにそれはS氏は拒んだそうですが、そういう話が出るということは、彼らの中ではM氏よりも私が悪者だったように感じます。彼らというのは言いすぎかも知れません。K氏の中ではというべきかも知れません。
それよりなにより、私がまだ季節風問題で苦しんでいる最中(2006年2月まで)に、カープラネットを解散してすぐに新しいクラブを作ったという事実と感覚になんともいいようの無い虚脱感を感じたものです。どうしても2006年の静岡に出たかったから申し込みの関係で仕方がなかったのでしょうけど。
カープラネットという自由な枠組みで仲間として楽しんできたにもかかわらず、結局は一緒にグリーンを楽しくまわれる仲間は4人だけだったというのはかなりショックで、私に限って言えばそう思わせる態度をとっていたんだろうなぁという自己嫌悪の思いも強く感じました。私はカープラネットの中でも、八方美人じゃなくて、言いたい事をいう人間でしたからね。私生活の悩みも抱えていた時期で、カープラネットの仲間だけが、その時の私の心の支えだったので、かなりわがままも言っていましたし・・・。
その後、その4人の皆さんは余計なメンバーがいなくて楽しくやっていらっしゃることと思います。
確かに、この出来事のきっかけは季節風。
しかし、今じゃ季節風に感謝しているところもあるんですよね。
あの出来事があったからこそ、その後、本当の友人と出会うことができた。
なんでも話せて、人生の喜びや悩みを分かち合える友人たちと。
これが、
最後に誤解の無きように書いておきますが、私が2005年12月にサイト閉鎖を決めたのは季節風や「パクリ」発言者のせいではありません。それはそれで腹立たしく傷つきもしましたが、カーモデルをやめた一番の原因は当時のカープラネットの皆さんの私への多くの批判の発言でした。
という表現の背景であり理由です。
もちろん、批判には、直接的な批判、何も言わないしないという批判、あわせてを言っています。
言葉足らずだったことはここに深くお詫びします。申し訳ありませんでした。
封印していた当時のメールを読み直すと、カープネットの皆さんやK氏やM氏にわかってもらおうと書いた長いメールは、我ながら健気で悲壮感を感じますね。友人を無くしたくなかったのでしょう。でも、今思えば、たぶん、お互い友人じゃなかったのにね。
そのメールのひとつを掲載しておきます。
K氏への返事を通してカープラネットの仲間にも私の思いを必死で伝えようとしてカープラネットメーリングリストに送ったメールですが、文章がいたらなくて結局何も伝わらなかったメールです・・・。
****************************************2005.12.17 22:03 カープラネットメーリングリストへ投稿
Kちゃん、どうもありがとう。
いろいろと考えさせられました。
私の思いも書きますね。
○○○の誰かに、あの人を抑えてほしいと思ってずっといたのが○○○全体への思いとなったのは否定しません。
なぜ身近の誰かが、あの人にそういうことはするなよと言えないのか・・・。
それがたまらずにいました。
だから、情報を流しつつも2ヶ月もずっと待ちました。
いろいろと情報を集めながら。
なぜあの人が暴走するのを誰も止められないのか、あんたら仲間じゃないの?
そういう思いが私も正直強いです。
ぼくがあんなに辛い思いしているのに、仲間のKちゃんは△△にやめろと言ってくれたの?
まぁそれは私に対して、ブログでああいうことを書くのを皆さんがとめられないというのと同じかも知れませんね。
Kちゃんの思いは真摯に心に受け止めさせていただきます。
該当のひとりがターゲットにもかかわらず、なんの悪意もこちらも相手ももたない皆さんに嫌な思いをさせてしまったことは、ただただ反省です。
申し訳ありません。
でも、やっぱり、○○○の誰かからあの人を注意してほしかった。
Kちゃんが、あの書き込みが△△だと思っているのならばよけいにそうしてほしかった。
苦しんでいた自分を誰か助けて欲しかった・・・そういう恨みつらみはやはり少しはあるのです。
そういう時期をずっと待っていました。
しかし、あの人の行動は付け上がるばかり。
私は疲れました。
先のメールにもかきましたが、私は他の理由もあって、カーモデルの趣味はしばらくやめます。
ブログもホームページもやめようと思っています。
その最後くらい、誰も助けてくれなかった愚痴をああいう形で出してもようかなと自分では考えました。
5年間、自分のためでもあり、ひとのためでもあり、頑張ってきた自分にあれくらいの思いをぶつけてもいいんじゃないかと・・・。
私も、今回はすべて失うつもりで、そういう心にたまったものを出させていただきました。
○○○のみなさん、何故関係のない私に矛先がむいているのを助けてくれなかったのですか?
そう問いただしたいです。
もちろん、その原因は私にあることもあるのでしょう。
しかし、ああいう卑怯な行動はやはり、許せませんよ。
けしてKちゃんはじめみなさんをどうしようもない人とは思っておりません。
繰り返しになりますが、誰かに助けてほしかったということです。
いろいろと申し訳ありませんでした。
では、失礼します。
****************************************
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