私の中の「カープラネット」が、やっと終わりました

カープラネットというのは、2000年にはじめた三重県人オフ会がルーツです。
2003年の静岡のモデラーズクラブ作品展に参加するために、2003年初にみんなでつけた名前が「カープラネット」。
もともとの三重県繋がりのメンバーだけではなく、その後、インターネットで親しくなった方々を誘い込み、私としては楽しい仲間になっていきました。
でも、開けられたパンドラの箱の後始末で書いたように、居心地がいいと思っていたのは私だけだったようで、私や一部のメンバーは簡単に切り捨てられる存在だったようです。そうなったことは真摯に反省するところも多いです。結果論としては、○○○には、M氏やK氏のような強い絆があって、カープラネットの中での私にはそういう強い絆がなかったということで、そういう面ではあの人物よりも人望がなかったということになります。
ずっと大切に部屋に飾っていた、私の作ったカープラネットのロゴパネル。
やっと、何の未練も無く捨てることができる時が来ました。
長かったですね、この3年半。
どこかで、カープラネットに対する心の思いをすべて吐き出して、捨て去ることができる機会をうかがっていたように思います。
「そっと見守るしかない」
この言葉は、物事がわかったふうな判断の言葉でありますが、実のところは単純な逃げのような気がします。いつか声をかけられる時が来るまではそっと見守るしかないというのならばまだしも、ずっと見守るだけだとそれは関わりを絶ち切ったということと変わりありません。「そっと見守るしかない」という言葉は、助けや力が欲しいと思っている人間に対しては、とんでもない凶器になります。
そのカープラネットのメンバーの凶器に対して、私はずっと防戦し怯えてきたのかも知れません。
悩みを持った親しい人間に対して、「そっと見守るしかない」という行動が時に凶器になるとわかったのも、こういう経験をしてこそだと思います。
何もなければ、『「Warachan’sモデル工房」カーモデルコンテンツの完全終了』にあたってで、心の真相にふたをしたままこの話題は終わっていたかも知れません。
あえてパンドラの箱を開けていただいて心の中を吐き出すきっかけを作っていただいた、Takuさん、有楽町マリオンのからくり時計さんには、本当に感謝します。ありがとうございました。
(追記2009.6.14:おふたりの気持ちは嬉しかったのですが、正直申せば、今になってそんなこと言われても・・・という気持ちが強かったです。いまさら崩れたものは戻せないですし、それを必要としていたのは3年半前ですからね。お互い、3年半もこのことには触れずじまいでしたので、このまますべて箱に入れたままが良かったと思っています。私がいまだに季節風が叩かれていることを知り、最後にひとこと余計なことを書いてしまったのがいけなかったと反省しています。この件は別途メールでもお送りします。)
この話題はこれで終了です。
私の長くこだわっていたことも終了です。
なお、ここで書いたことは私が受け取った正直な思いを書いたものです。
立場が変わればそれぞれの異なった思いもあるのが普通です。
それは、必要に応じそれぞれの立場で語っていただければいいと思います。
私は感知することはありません。

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さて、次回から楽しい話題に戻していくことにしましょう。

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