いよいよ、明後日、衆議院議員選挙ですが・・・
いろいろな動きを見ていると、「怖い」と感じることが多いです。
特に、「脱原発」、「反原発」の方々。
人間のことを第一に大切だと考えると、原子力発電なんてとんでもないという考えから、ミュージシャンの方や作家の方や俳優の方などが声を上げて活動をしていらっしゃいます。
それ自体は、なんら問題もありませんし怖くもありません。
いろんな考えがあっていいのですから。
以前にも書きましたが、ものの考えにはメリットとデメリットがあり、それをその人がどこに重きを置くかですから、すべての人が同じ考え方であるほうがおかしいのです。
しかし、「脱原発」「反原発」の方々の表面に出てこられる方々の話を聞いていると、『「脱原発」「反原発」が国民の声だ』とか、『「原発推進」は人間の考えじゃない』とかおっしゃっている。そして一番怖いのは、「脱原発」「反原発」のためだったらどんな抗議活動をしてもかまわないという雰囲気が滲み出ている。
それって、テロと同じ。
自分が正しいと信じていることのためだったら、何でもする。そして、その考えと異なる人を認めず排除する。『国民の声を聞け、それが民主主義だ』と声高らかにおっしゃっていますが、自分の考えしか認めないことが「民主主義」ではなく「独裁」だと気づいてほしい。
人間の命、一番大切に決まっている。
それを全面に出して「脱原発」「反原発」という。
でも、今、原発を止めたら、それこそ人間の命や生活に大きな影響が出るとは考えないのだろうか。それに、人間の命を一番に考えるのであれば、他にも人間の体によくないものや危険なものは山ほどある。それには反対活動をしないのだろうか。どうも、その方たちの理念というものが、終始一貫されていないとも感じる。
いつかは原発は無くす方向に進めることは必要かなとは思う。
しかし、だからといって、今すぐ「脱原発」を進められると日本はどうなるんでしょうか。
心地よい大義名分で反対することは簡単だけど、それによってのマイナスやデメリットもあることを頭にいれてほしい。そのマイナスやデメリットの方が重要だと考えて、異なる考えもあることを認めてほしいと思う。
自分の考えだけが正しいと思っている人の行動が、私は一番怖い。
オウム真理教や、北朝鮮や、世界のテロ組織と重なるのは私だけだろうか。
いろんな考えがあることを認め、どれが正しいかということではないことを認め、その上で、自分の進める方向を示し多数決で決めていく、それが民主主義だと思うのだが。
誤解なきよう・・・
言いたいのは、原発推進とか原発廃止とかどちらが正しいとかを言いたいのではありません。「脱原発」支持の方の中にもきちんと冷静に他の人の意見も聞きながら自分の考えや主張を述べていらっしゃる方もいます。
この考えじゃないと人間じゃないとか国民じゃないとか、そういう極端で一途すぎる考え方が怖いと言っているだけです。
「怖い」と感じること
徒然の思い

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