大阪の高校のバスケットボール部主将が、顧問の体罰が原因で自殺した事件。
ずっと年初から注目してきたニュースですが、ようやく月命日の昨日、お父さんが暴力顧問を刑事告訴しました。なぜ、もっと早くこういう行動を起こさないのだろうかと思っていたのですが、じっとこの日を待っていたのですね。
そもそもこの事件、なぜ賛否両論があるのか私はずっと理解できないでいます。
教育という現場では体罰も必要だという意見。
自殺をしたのは、その人間が弱かったからだという意見。
聞いていて、正直なところ、私は腹立たしくて仕方が無いのです。
考えてみてください。
会社で、新人を指導するために、顔にビンタなんかしますか?
したらどうなります?
懲戒処分ですよ。
警察に被害届けを出されたら犯罪者です。
教育という名のもとに手を出すのは、根本的に間違っています。手を出したから良い教育が出来たと言っている教育者がいたら、それは、手を出さないと教育ができない「出来損ない教師」です。学校という場所は、教師と生徒という、それだけでも絶対的な立場の強さの違いがあります。なのに、言葉や理屈で子供たちを正しい方向に導けないというのは、プロ失格です。
こう言うと、「親も子どもをしつけるときに手をあげることもあるだろう」と反論してくる人もいます。
でも、親と教師を一緒にしないで欲しいと思います。生徒を自分の子供のように大切にしている教師なんか、ほんのほんの一握りです。そしてその一握りの教師はたぶん生徒を殴ることはしないでしょう。大切だったら軽率には手は出せないはずです。でも、それでも悪い事をした時には親でも手をあげたくなるときもありますが、親が自分の子供に手をあげるときは、心で泣いていたり、あとですごく後悔するものです。その思いは、ずっとずっと心に残り、手を出したほうも傷つき心が痛いのです。
教育やしつけと称して、子供たちに手をあげる教師は、そういう後悔をしますか?
後悔していたら、次には手を出さない方法を考えるものです。手をあげることに躊躇いを感じるはずです。
だから、手をあげる教師は、絶対に後悔なんかしていない。
そこが親と絶対的に違う部分なんです。
そういうことも区別せずに、しつけには体罰が必要なんて、よくも言えるものだと思うのです。
それだけでも腹立たしく感じるのに、自殺をしたのはその子供が弱かったからだなんてよく言えるものだと悲しくなってしまいます。いじめはいじめられるほうにも問題があるという理屈と同類です。
人間は弱い人もいれば強い人もいます。それは本当は弱いとか強いという良否の問題ではないのです。風邪を引きやすい体質の人もいれば、ひきにくい体質の人もいる。それと同じで頭の中の分泌物や伝達の違いによる体質の違いと考えるべきなんです。精神的に弱い人を強くするためには、プレッシャーを与えるだけではだめなんです。肝臓機能の弱い人に、酒に強くなるためにどんどん酒を飲ませたら肝臓は強くなりますか? それと同じなんです。教育者ならば、そういうことをきちんと見極めることができて、その人に適した対応をするのがプロの教育者ではないのでしょうか。手を出すことにより、自分より弱い立場の子供に対していうことをきかせるのであれば、私でもできるし、誰にでもできる。
女子サッカーの佐々木監督、プロ野球日本ハムの栗山監督等々、優秀なスポーツの指導者は身近にたくさんいます。選手の心をうまくつかんで信頼を得ることが成果を出すための基本だということをわからないことだけで、教育者・指導者失格といわざるをえません。
若い人の命を絶つきっかけを作ってしまったことだけで、関係者は猛反省をすべきことで、今回は傍観者である私たちも子供に手をあげるということがどういうことなかをきちんと考えないといけないと思います。教育としての体罰と暴力との境目はなんだとか、その定義を明確にすべきだなんて馬鹿げた議論をせずに、子供や人を導くという事はどういうことなのか、そのための方策は何が良いのかという観点で議論をするべきだと思います。
人間は、動物じゃないんですから、恐怖や怯えや痛みで動かすことが教育やしつけになるわけないんです。
その結果は、人間をゆがませるか死に追いやるだけ、ですよね・・・
悪しき伝統、体罰と精神論
徒然の思い

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