盂蘭盆・迎え盆

「お盆」というのは当たり前の言葉として使っていますが、正式には「盂蘭盆」あるいは「盂蘭盆会」、「盂蘭盆供」とかいいます。(って、このくらい知ってますよね。(^_^;))
「盂蘭盆」という言葉は知っていましたが、ちょいと調べてみたらこの言葉、サンスクリット語の”ullambana(ウラバンナ)”から来ているそうですね。
中国の仏教経典の盂蘭盆経に基づいているらしいです。
それはともかく「お盆」というのは、ご先祖様が苦しむことなく成仏してくれるようにと供養する時なのです。
もとは7月でしたが、今は一般には8月13日から16日に行われます。
13日が迎え盆で、16日が送り盆ですね。
だから、本当は「お盆休み」は遊びに行くために設けられた休みではなく、故郷でご先祖様を供養をするための大切なお休みなのです。
といいましても、実質は大人の夏休み的な感じにはなっていますけどね。(^_^;)
しかも、クリスマスと同じで、キリスト教や他の宗教の方々も、つい「お盆休み」とか言ってしまうのではないでしょうか。(^.^)
なぜ、そんなことを思ったり調べたりしたかと言いますと、今年は故郷に帰ろうかどうかと迷っているからです。
もともと、私はあまり宗教には興味なくて、お盆も故郷には帰りますが、お墓参りもせずに帰って来ることがしばしばです。
仏壇に手を合わすときも、今生きている父や母がいつまでも元気でいますように、そして私の家族、世の中が平穏無事でありますようにと願います。
別にご先祖様を供養する気持ちが無いわけではないのですが、供養という感覚とは少し違うかなと思っているのです。
自分が今この世に生きて存在しているということは、今まで人類が現れてから何万年という長い間、私の親、そのまた親、そのまた親が誰一人死なないで命をつないでくれたからだという信じがたい現実の上に成り立っているという、そういう意味で「供養」というよりも「感謝」という感じの方が適切に思えるのです。
そういう意味で、お墓参りは「お盆だけのことではないな」と思うし、対象も「お墓」に対してだけではないなと思うからなのです。
ご先祖様が新しい生を設けて一生懸命生きてくれた、その何万回、何千回という繰り返し。
私は、常に気の遠くなる人類の営みの不思議さや、それに対する感謝を感じているのです。
興味が「精神的なこと」よりも「科学的なこと」に向く性格というのもあるのかもしれません。
そう思うことがイコール供養なのかも知れませんけど。
そういう意味で、私はお化けや幽霊を信じられません。
人間であろうが蟻であろうが猫であろうが、同じ生物です。
死んでしまえば、「無」です。
「あの世」なんて考えることができません。
自分が夢も見ないで寝ているとき、自分の存在を感じますか?
「死」というのは、まさしくその寝ているときの自分の不在が永遠に続くだけのことです。
考えると、恐ろしくもあり、たいしたことでもないようにも思えたり、不思議なものです。
私は、いつも知人にはこんなことを言っています。
お化けや幽霊は怖いどころか、いるならぜひ会ってみたい。
もし会えれば「あの世」や「魂」の存在が証明できるわけで、自分の「生」が永遠になるということですからね。
「迎え盆」にこんなこと考えていると・・・振り向いたらいろんなご先祖様が自分を見てたりして・・・
・・・・・・★
現実のお話に戻します。
昨日書いた、ベビーベッドと木製二段ベッドとパイプ式ハイベッド2個の処理です。
リサイクル屋さんというのは、ベッドを扱っているお店が少なくて買ってくれる店が限られました。
結果は、ベビーベッド+木製二段ベッドが3000円、パイプ式ハイベッドが-360円(つまり買取不可で廃品処理代)。
まとめて2640円の黒字となりました。
ベビーベッド+木製二段ベッドは、市内のリサイクル屋さんですが、もう少し交渉すれば高くなったかなと少し後悔も有り。
パイプ式ハイベッド2式は市の不燃物処分場へ持ち込みで120Kgで処理量360円。
捨てる前と捨てた後に車ごと重量をはかってその差を捨てたゴミの重さとするのです。
ちなみに、グランビアちゃんの空車状態(私と奥さんが乗って)は2.2トンもありました。
・・・・・・★
朝も6時に早起きしてはいるものの、なかなか休みが長いとはかどるものもはかどりません。
やっぱり人間にはせっぱつまった期限というものが必要ですね。
子どもたちは、片付けもそこそこに昨日の夜から奥さんの実家にいとこが来たからと言ってお泊り。
気楽なもんだね~。

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