

また今日も暑い一日でした。
1ヶ月ずれているんじゃないのってな感じです。
本日のトップニュースはご推察の通り、「Dr.コトー診療所」の最終回しかないでしょう!
コトー先生のような行動は実際には出来ない事だとは思いますが、コトー先生のように患者の心がわかる先生を我々は求めてしまうんですよね。
何回目かの放送で、コトー先生を追う記者のせりふにもありましたが、
「人の大切なものを責任をもって扱う。だからこそ人様から「先生」と呼ばれているんじゃないのか!」
というのはそういう思いが我々にあるからだと思います。
世の中、「先生」と呼ばれる職業の方々がたくさんいらっしゃいます。
なぜ自分は「先生」と呼ばれているのか、考えた方はその中でどのくらいいらっしゃるのでしょうか。
「この職業は「先生」と呼ばれるのが当然」と思って何も意識しない方も少しはみえるのかなと思います。
そういう方は、「先生」と呼ばれている意味を少しは考えていただければなぁと思います。
私の考えでは、「先生」と呼ばれる方々は、人の大切なものを預かってそのために働くから「先生」と呼ばれているのだと私は思います。
医者は患者の命ために、教師は生徒の成長ために、政治家は国民の平和のために・・・。
だから感謝とすがる気持ちを込めて「先生」と呼ぶのです。
今、その「先生」たちは、「自分たちは人より偉いんだ」という気持ちの方が強いように感じることが多い気がします。
だからこそ、こういうドラマに感動し涙するのです。
うそでもいいから、こういう「先生」がいてほしい。
少なくとも私はそう思うのです。
20年ほど前に、「金八先生」を初めて見た時にもそんなことを思った記憶があります。
ドラマの「先生」と同業者の方は、「あんなのは理想で、そんなこと現実にはやってられないよ。」とおっしゃると思いますが、そんなのは関係ないのです。
そう期待しているのは、患者であり、生徒であり、国民なのですから。
偉そうな事を言っても、自分が「先生」と呼ばれる職業になっていたら、そんな純粋な心をずっと持ち続けられたかどうかは自信はありませんが・・・。
コトー先生を迎えに行った時任三郎の台詞には、もう私は耐えられませんでしたね・・・。
久しぶりに良いドラマを楽しむことができました。
・・・・・・★
「先生」といえば、昨日の日記で書いた「学年主任の先生」というのは間違いでした。
正しくは、「生徒指導担当の先生」です。
聞き違いとはいえ、深くお詫び致します。
・・・・・・★
「先生」と呼ばれる方々は、誰の何のために働いているのか、その対象の大きさを少しでも考えていただきたいなぁと思いました。
企業のサラリーマンや普通の自営業とと同じだったら、「先生」なんて呼ばれなくてもいいですよね。(^.^)
「Dr.コトー診療所」と昨日の出来事でちょいと「先生」というものを考えてしまいました。
ご気分を害した方がお見えでしたらお詫び致します。
あくまでも私の個人的な考えですので・・・。
「Dr.コトー」で「先生」を考える・・・
「気まぐれ日記」(2001/5~2005/7)

コメント