映画「三度目の殺人」

2時間退屈することなく最後まで引き込まれました。重盛が三隅のことを調べていくにしたがって、ただの殺人犯であった三隅が実はそうではないのではと思い始め、最初は「弁護には真実も被疑者を理解することも不要」と言い放っていた重盛が変化していきます。長い経験からの信念が、この事件に少し入り込んだだけで変化するというのは、少し観ている側からすると戸惑うところもありますが、それだけ三隅の術にはまってしまっていったのかもしれません。三隅は、咲江の辛い証言をさせないようにするために供述を変えて、死刑判決を覚悟する動きをするのですが、それが自分自身を殺すということになるので、タイトルである「三人目の殺人」ということにつながります。死刑判決後の面会では、供述変化の意図をお互い確認しあう会話となっていますが、そこには三隅の優しさと悲しさが表現されていました。人の命を奪っても、自分の命がどうなっても、人の役に立てばそれでいい。そういう人生しか選ばなかった三隅に対して、重盛は「あなたは、ただの器・・・」と悲しく言います。いくら人の役に立つためとはいえ、人の命を奪うことを認めるわけにはいきませんが、そんな悲しい人生を選ぶしかなかった三隅が憐れに感じました。謎解きや推理を楽しむ映画ではなく、世の中の難しいところを見せられたような映画でした。

上記はあくまで私の主観です。あとで自分がその時にどう思ったかを忘れないための記録であり、作品の評価ではありません。また、ネタバレの記述もありますのでご注意ください。

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