映画「風立ちぬ」

昨夜、レイトショーで奥さんと長女と3人で「風立ちぬ」を観てきました。
この映画は、なかなか評価の難しい映画です。宮崎アニメファンならば、それぞれの場面で作者が表現したいことや、登場人物の行動の必然性をすぐに理解できるかもしれませんが、そうでない人にとっては、ちょっと不親切でわかりにくい映画だと思います。
その理由は三つあって、一つ目は、ふたつの物語(「堀越二郎の素晴らしい飛行機を作りたいという夢」と「堀辰雄のサナトリウム恋愛」)を融合することによって観客に伝えたいことがわかりにくいこと、二つ目は、そのふたつの物語を掘り下げてきちんと表現するには時間不足で中途半端になっていること、三つ目は、時間の流れ、現実と夢の中の出来事がめまぐるしく変化してそれについて行きづらいこと。
そういう理由で、この映画はストーリーの枠を超えて宮崎駿の世界が理解ができる人でないと、良さがわからないのかも知れません。少なくとも、私はその良さがわからないままラストシーンを迎えてしまいました。私の考えとしては、映画はわかりやすいことが一番で、笑いや感動、涙の繰り返しが醍醐味であり魅力だと思っています。そういう意味では、この映画は最初から最後まで観客も私もシーンとしたままで淡々と流れていったような気がします。
悪く言えば、この映画は、作り手の自己満足の部分が多すぎるような気がします。そして、それについてこれない観客は、ダメな観客だと切り捨てられているような気がします。
問題提起もされていますが、喫煙シーンもそういう作り手の意思と観客の普通の感じ方にギャップがあるような気がします。特に菜穂子の手を握り仕事をしながら喫煙するシーンが一番気になった場面ですが、奥さんも長女も私も、二郎はあの場面ではタバコを我慢するのが菜穂子に対する思いやりじゃないのかと思いました。でも、作者の意図を想像すると、病気による死を覚悟して二郎のところに来ている菜穂子は、二郎がずっと手を握ってくれていることを願い、その気持ちをわかっていて二郎は、手を離さずに菜穂子が気兼ねしないようにあえてその場でタバコを吸うという、二郎と菜穂子の切ない心情を表現したものだと思いますが、なかなか観ている時にはそこまでは感じることはできなくて、観終わってからいろいろと考えてそうだったのかもしれないと感じるという難しさです。
先に書いた三つの理由以外に、細部でも随所そういうところがあって、最初に書いたように「評価の難しい映画」というのが私の正直な感想です。

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